尼崎事件と「野良ボラ」にみる「コミュニティ秩序」を壊す手段
東日本大震災後の東北地方で悪名を馳せた、評判の悪いボランティア団体(以下T)が被災地入りし、M町の許可を得て避難所運営を指揮しはじめたとして、各所から心配する声があがっています。
ネットで問題になる前は、M町の町長自ら救援を求める動画をアップ。Facebookに窮状を投稿するなどの動きを見せた上で、Tに避難所運営を委託するとの旨を発表してしまいました。
結果、熊本県社協にボランティアの要請を行わず、さらに18日には日本青年会議所はM町へのボランティアセンターの立ち上げをしない方針を決定。T単独でM町のボランティア活動を行うことが確定されました。
しかし運営状況は芳しくない模様で、支援物資の受け入れを町職員を使って夜を徹して行う、その集積された支援物資の分配ができず、なぜか別の避難所の被災者個々人が「取りに行く」という、さらには作りすぎたおにぎりを腐らせそうになり、小中学生が配りにいっているという非常にダメな状況に陥っています。
これらの問題はこちらに詳細が記載されていますので、ご参照ください。
善意が牙を突き立てた状況になったM町。この町の現状を見ると、なんとなく尼崎事件を思い出してしまう私です。
目次
■権威を貶め信頼を得る角田美代子のやり方
尼崎事件といえば、主犯角田美代子による家族乗っ取りと残酷な虐待、後始末で有名ですが、その内容については団長が別項にて書いているので参考にしてください(内容がちょっとエグいので注意してください)。
・【閲覧注意】まるでポルノ小説。ホンモノの変態監禁はオタク以外の手で行われる。
角田美代子が家族支配に利用したのはものは、家庭内暴力です。
家庭内暴力は、刑事罰の対象とならなければ、民事不介入で警察の関与を排除できるため、暴力による支配にはうってつけの「ツール」となります。
その家庭内暴力のトリガーとして角田美代子が使ったのが、金髪デブ軍団と呼ばれる暴力装置と、子供に親を攻撃させ、家庭というコミュニティを破壊するという手段でした。
通常の家庭では当然親が子に従い、いくら子供に弱い親でも、家庭内秩序の長は親であるはずです。家庭内暴力が起きるのはこの秩序が、家族の誰かによって破壊された時です。その秩序を簡単に破壊させる方法が、子供に親の悪口を吹き込み、親の権威を貶め、子に親を殴らせるという一連の行為でした。
なお、角田美代子は世間で言われるほど計算高い人間ではなかったようで、これらの家庭内暴力も最初の乗っ取りで「家庭内暴力は警察に関与されない」という経験則を得たこと、生い立ちにより「親」という存在そのものを、どうやら憎んでいたらしいことにより、偶然秩序の破壊と支配のための道具として知ったようです。
角田美代子の生い立ちや事件周辺については、「家族喰い――尼崎連続変死事件の真相
■行政をおとしめ信頼を得ようとする野良ボランティア
ここからは私の推測が多分に含まれますので、あらかじめ断っておきます。
各自治体では各家庭で三日以上の食料、水の備蓄を呼びかけています。
当然ですが広域災害の場合、行動の無駄が大きく響くため、組織にせよ物資にせよ計画立てられて運用されることになります。行政にせよ支援団体にせよ、すぐさま支援が開始できるわけではなければ、全ての避難所に同時に支援開始できるわけでもありません。
そのため、支援が開始されるまで市町村であったり、地域の自治会だったりで緊急備蓄品を確保し、本格的な救援活動が開始されるまで「持たせる」準備がされています。そのうえで、孤立した場合に備えて各家庭でも、最低三日分は飲料食料の用意をするように奨励されています。
今回Tは、この「すぐに動けない行政や支援団体」の隙を上手くついてきました。
現地入りする「速度」を優先し「着の身着のまま」でやってきたのは、善良な精神や善意のためだけではありません。おそらくは国や県が本格的に動き出す前に、主要支援ボランティア団体として公認してもらうのが目的だったのではないでしょうか。それこそ社協や日本青年会議所が動く前に。
全社協が熊本県でのボランティア自粛を求めましたが、これも彼らには良いように働いたのかもしれません。なにせ競合が現れない状況が生まれたわけですから。
M町同様、震災早々Tがやってきた震源地の益城町の場合、国や県任せかと罵声を浴びても、女性社員が泣かされても、国や県の支援を待ち、全社協が動くまで待ったわけです。
M町は少し焦りすぎました。結果としてより大きなボランティア団体の支援を受けられず、Tの支援のみで今後の避難所運用、復興をやっていかねばならなくなりました。
ここで、先ほどの角田美代子の話に戻ります。
おそらくTは、M町役場などに対しては「国や県は頼りにならない」「今すぐボランティアを開始しなければならない」と必要以上に危機感を煽り、早急なボランティア活動の開始と自分たちに運営を任せるよう迫ったと思います。
同時に、町民に対しては「行政はあてにできない」「町ではやれないことを我々ならできる」などと言い、行政よりも分たちの方が頼りになると吹き込んだことと思います。
これ、角田美代子が被害者家族の子供を手なずけたやり方にそっくりなんですよね。
角田美代子は「あんたの親は信用できない」「あんたの親は悪いことをしてきた」「あんたの親はあんたを愛していない」と子供達に吹き込み続け、自分が親以上に信用できる人間のように思わせることで、親を罵倒、弾劾し、挙げ句の果てには暴行を加えるように洗脳してきました。
この親の部分を「国」「県」「市町村」に置き換えれば、家族乗っ取りならぬ自治体乗っ取りができるわけです。
実際、避難支援を任されたM町の職員はTの指揮下に入ることになり、深夜まで支援物資の受け入れに追われ、ほぼ徹夜状態で翌日出勤するという自体まで発生しているようです。
しかも、地元住人は「Tの人達が寝ずに被災者のために働いている」と認識しているらしいツイートも流れてきました。Tのスタッフが寝ずに動いているのは事実かもしれませんが、動いているのはTをはじめとしたボランティアばかりではありません。
すでに支援団体>町職員という力関係も生まれて心身共に疲弊しているかもしれないとの情報(推測)も入ってきています。そしてこの状況は、他のボランティア団体が支援をしない(閉め出される)という事態をもって、今後も永続的に続いていくことになるだろうと思われます。
こう考えると、益城町は支援の誘惑をよく断ったと思います。そしてM町は下手打ちました。
まさに「自治体乗っ取り」です。
■ひたすら疑問なボランティアの運営力
(着の身着のままできたのに)炊き出しをやるなど、精力的に活動し、その報告を繰り返していたT一派でしたが、過去の経緯が公表されるにつれ、ネットでのバッシングも強まる中、緊急支援活動金を募集していたクラウドファンディングは「必要金額に達した」という理由で募集終了、またM町ボランティア活動の中心となっているだろう人物の報告も18日を最後に止まってしまいました。
一方でTwitterには、実際にM町で被災している人達の声があふれはじめ、Tの活動のつたなさも露見することになりました。
17日に「加工せず、すぐに食べられるものを」と募集した結果、消費期限の早い食品ばかりが集まり消費期限切れで廃棄される結果に。集積地は被災地の小学校に定めていたようですが、ここからの分配力が弱く、作りすぎたおにぎりも傷みそうになったので、子供に配らせていたともいいます。
このような状態を、世間では「段取り不足」といいます。
「足りない」と言われていた食料や物資も実は余っていたようで、町長の「呼びかけ」もTにそそのかされて危機感を煽り騒動を起こしただけで終わってしまいました。Tは支援を呼びかける前に、最低限把握しておかなければならなかった「現在の物資数」「必要数」なども全く計算ができていなかったのでしょう。
今から考えれば、最初の呼びかけで具体的な必要数などが明示されていなかったのだから、実際の不足数や現在の実数を把握していたわけがないんですよね。
そもそも、災害発生直後のボランティアの役割は、物資仕分けの仕切りなどではなく、孤立しがちな各避難所の連絡窓口とか、行政との橋渡しとかが主になると思います。それらを飛び越えて「物資調達」「物資分配」「募金」という自治体の生命線を握ったということが、意図がどうあれやっぱり怪しく見えます。
■「数字」を把握できない団体が本当に被災地支援なんてできるのか?
M町のホームページでは、19日13時時点で食料が不足しているとも書かれており、どちらが本当なのかよく分かりません。外部の私達ですらつかめないのだから、実際にM町で避難生活している人にはより情報が錯綜しているものと思います。
食糧が傷んで廃棄したのは本当らしく、19日の募集では「痛まないもの」と書いてあります。各避難所で調理をできる体制を整えたそうなので、今後は保存が利く原材料を送って欲しいとのことです。
こう見ると、最初の「すぐに食べられるものを」という募集も、調理する体制が整っていないためだったのかもしれないと思えますが、それならなぜ調理器具やスタッフの準備もせずに入ってきたのでしょう? 着の身着のままでくるより、しっかり準備してから来た方が良かったのではないでしょうか? それとも、ボランティア自粛を無視してまで、急いでこないといけない理由でもあったのでしょうか?
食糧が足りない、いや足りているところころと言い分が変わるのは、把握できていない証拠です。食糧の備蓄がたった一日で状況変化するはずがありません。他の自治体から避難者が大量に押し寄せたなどなら別ですが。
物資募集も具対数を書かず「大量」などという言葉が並んでいるだけです。東北地方で復興ボランティアの経験があるなら「大量」に持ち込まれた支援物資で悩まされた経験があると思いますが、その経験もまったく生かせてないようです。
支援金についても同じ事が言えます。ひたすら集めることばかりに気をとられ、いくら必要なのかという具体的な数字もあげられず、炎上したから「940万で足ります」と言い出したに過ぎません。
そんな「ずさん」な団体に、本当に被災者支援ができるのでしょうか?
過去の代表の犯罪歴なんかより、この大雑把な運営の方がよほど問題です。過去の犯罪歴は直接被災者のダメージにつながりませんが、物資の管理能力は被災者を直撃します。
物理的な不足もそうですが、支援不足は最終的にコミュニティの断絶を引き起こします。
「●●さんだけはいい思いした」という恨みつらみは、その人が死ぬまで一生心をむしばみます。極限状態では、その不公平感はより増幅されることになります。実際、東北ではそのような不公平感で地域コミュニティが破壊されたところもあったと聞きます。
おそらくM町町長は、東日本大震災での「実績」を聞いてボランティア運営を依頼したと思いますが、その実績もネガティブなものなら、なんの意味もありません。今は勢いでなんとかやっているようですが、このような無計画な支援活動では、いつか破綻する時がくるやもしれません。
私の心配が取り越し苦労であることを願います。
(文/赤蟹)